苦しい時はタイムスリップ
今日は目覚めは悪くなかった。
まだ薬に頼っているとはいえ、寝付きも悪くなかったし、睡眠時間もきちんと取れた。
けど、相変わらずお腹辺りの圧迫感は消えないまま。
ストレスを感じている時、緊張している時に感じているアレがずっと治らない。
何が原因かは解らないけど、正常では無い事は解っている。
休職してからストレスのかかる様な生活はしていない。
2ヶ月の間、家族の優しさや支えの元、のんびりと過ごす事ができている。
それでも身体は元に戻らない。
上がったり下がったりを繰り返す。
思うだけで体調を崩す。
聞くだけで体調を崩す。
こんな状態を他人が理解できるはずなど無いだろう。
特に追い込んだ人間は想像する事すらできないだろうと思う。
あの時、あの頃、なぜ、あんなにも他人に期待したのだろう。
私が嫌い軽蔑した人間に対して、私にとって有益な行動をしてくれるようになると、なぜ期待したのだろう。
己の人生を豊かにする為に、他者の人生を踏みにじる事に、一切の躊躇いを持たず行動できる人間になぜ期待したのか。
相手の人生を踏みにじってまで、自分の人生を守れなかった事を後悔しているのでは無い。
私の人生を踏みにじる事ができる人間だと見抜けなかって自分の見る目の無さを悔いているのだ。
そんな自分を変えたくて今日もまたタイムスリップを繰り返す。
辛かった出来事を
傷ついた出来事を
悲しかった出来事を
価値のある出来事に変える為に、過去に戻ってやり直す。
新しい方法を試して見る
失敗から得たものを確認する
何故起こったのか考える
過去から今使えるものを得る事で、過去の出来事の解釈を変更する。
過去は変えることができない。
だけど、過去を元に良い未来を作る事はできる。
より良い人生の為に
より幸せな人生の為に
たくさん苦しんだからこそ、たどり着ける場所があると信じてる。
カッコ悪くても、見苦しくても、前を向いて歩を進めよう。
一歩づつ一歩づつ。
引き続き体調不良
今日も引き続き体調が良くないです。
昨日、無理を押して畑へ種まきに行ったのが追い打ちになってしまったのかもしれないな。
体調が悪い中で、やろうと決めていた事をやる事ができたのは一歩前進したと思えていただけに、少し残念です。
体調が悪くなると頭の回転が下がります。
調子が良い時、前向きな時は、次から次へとアイデアや意欲が湧いてきますが、今は全然ダメですね。
眼球を頭の中心に押し込まれているような圧迫感。
今思えば仕事に行って行っていた時に慢性的に起こっていた症状だ。
そんな中で仕事をこなしていた事を「良く頑張った!」とは思えず「本当にアホやった…」と白い目でみている自分がいる。
まずは休もう。
まずは体調を戻して、考えるのはそれからだ。
時間は命です。
ブロブを書こうと決めた時に、たったひとつ目標を立てました。
それは「毎日ブログを書く事」です。
その頃の私はまだまだ体調が不安定で、体調が悪くて寝込んだり、体調が良いと思って活動すると次の日には体調を崩して寝込んだりと、上がったり下がったりを繰り返していたので、毎日何かを継続的に行う事が非常に困難でした。
だから、毎日決めたタスクをこなすことが出来るようになるということは、自分がもう一度社会に適応するために必要なことで、回復の目安にもなると思い、そのような目標を立てました。
毎日ブログを書いていると変化が起こってきました。
ひとつめは“頭の中が整理される”ということです。
悲しい事、腹が立つことがあると、そのことに囚われて周りが見えなくなるものです。
私も例外ではありませんでした。
視野が狭くなり世の中のすべての不幸をひとりで背負っているような気分になっていました。
そんな自分の心の内をブログに書いて俯瞰で眺めると、そこに書かれている内容に違和感を感じる事があります。
それは視野が狭くなって小さくなった世界と、現実にある大きな世界とのギャップから感じる違和感なんだと思います。
その違和感の正体をつきとめて、しっくりくる文章にする。
その作業が自分の狭い視野を広げて、心の中の整理をすることに繋がっているようで、考え方が大分前向きになってきたようにおもいます。
ふたつ目は“時間に対する感覚”です。
体調が不安定なので毎日ブログを書こうと思ったら、書ける時に書いておかなければなりません。
私の場合、「後で書こう」の“後”は、なにが起こっているか解らないからです。
だから、できる時にやる事を心掛けるようになりました。
また同じ事をするにも効率を考えるようになりました。
問題や違和感を感じたら、すぐに直す事を心掛けるようになりました。
数秒、数分の問題や違和感を無くす事が、私にとって必要な事をする数秒、数分を確保する事になると思ったからです。
以前受講したセミナーで“時間は命です”と教わりました。
当時の自分を振り返ると、言葉としては理解できていましたが、実感はできていなかったと思います。
人生に絶望し、もう死んでもいいやと思った今だからこそ、“時間は命”だと心の底から思えます。
私が人生で成し遂げたい事を達成するには、残された時間が潤沢にあるとは言えない年齢になったと思います。
自分の考えを整理して、人生で成し遂げたい事を見つけ、そこに至るまでの問題.・障害を排除して目標を達成する。
自分が死ぬ時に「よくやった」と満足して死んでいきたい。
“時間は命です。”
そんな最後の為に、今日も一分一秒を大切に過ごしたいと思います。
断捨離してます。
この頃は、体調の良い日も増えてきたので、家事をする事も増えてきた。
一人暮らしが長かった事もあり、料理ができるので、私の休職を受けて勤務時間を増やした妻の負担を減らすべく、食事の用意と片付けをする機会が増えた。
実際にキッチンに立つと個人的に気になる事がある。
それは必要な物の前に不必要な物があること。
そのことで、毎回必要な物を取る際に不必要な物をどける手順が発生する。
これは私の思考の癖なんだろうけど、明日も同じ事が起こるのが解っているのに、何もしないのは居心地が悪いのです。
なので、今日はキッチン周りの断捨離をする運びとなりました。
必要な物が埋もれてしまうほど物が増えてしまったのは、家族が増えたので食器が増えたのもあるけど、一番の理由は物が捨てれない事。
この家に引っ越して来た時は嫁さんが妊婦だった事もあり、義理のお母さんが食事を担当していたのだけど、途中から嫁さんに交代した。
嫁さんは自分の使いたい道具や食器に変更したいけど、使えるのに捨てる訳にもいかず、実際にお母さんに相談しても「高かった」「○○円した」「良い物だから」と反論されるので言うのも嫌になっているとのこと。
なんだか今の私の状況と似てるなぁと感じた。
いざこざを避けるために、たった一人でやりづらいのに我慢してたのかなって思ったら、申し訳ない気持ちになった。
私の個人的な格言だけど「小さな我慢は大きな不満を生む」というのがある。
毎回どかす
毎回やりづらい
毎回不愉快
ひとつ、ひとつは、小さな我慢だけど、それが毎日たくさんあって、年中続けば、家事は大変だと不満になるだろう。
毎日料理をする訳だから、今回の断捨離で、言い出しっぺの私はもちろんだけど、妻の日々の負担も減ってくれたらいいなと思う。
ちなみに義理のお母さんに捨てる交渉は行わないことにした。
そこにエネルギーを注ぐなら、より使いやすい物の配置に使いたい。
今回は収納する場所を変えるだけ。
使いづらいキッチンで知らず知らずのうちに消費していたエネルギーが、使いやすくなる事で余るようになって交渉しようと思えるぐらいまで溜まった時にやればいいかなって思ってる。
人のできる事には限りがある。
体調を壊して、そのことを痛いほど実感してる。
何かしたいなら、何をやらないのか決める。
最近のマイブーム。
人生の指針 母親から学んだ事
昨日のブログで、職場であった辛かった事をを振り返ったら、復帰する事はできるかもしれないけど、できる事なら復帰はしたくないなぁ…というのが自分の本心なんだということに気が付いてしまいました。
収入が安定する事をメインで考えれば、“社歴12年の正社員の所得”を手放すのはもったいないようにも思うけど、その金銭的な安定と引き換えに失う物があまりにも多いことに気がついてしまった。
あそこは私が過ごしたい世界とはあまりにも違いすぎる。
例えるなら、ネコがめちゃめちゃ努力して野生のライオン社会でがんばった所で、いつライオンの気まぐれで喰われるか分からない。
そんな生活をするより、ネコカフェに移住してネコ好きの人の心を癒して喜ばれる生活を送る方がはるかに幸せなんじゃないかと思えてきました。
私には人生の指針がある。
“人と関わり良い変化を起こして絆を深める”
これは今から数年前に受けたセミナーでみつけた、私の人生の指針。
そんな風に生きたいと思うのは、子どもの頃の体験が深く関わっていると思う。
子どもの頃の記憶…
母親には何故だか解らないけど多額の借金があった。
ただの借金ではなく消費者金融から借りたお金だ。
毎月毎月返済に追われ生活は苦しかった。
幼い頃、借金取りが家にくると「お母さんはいません」と居留守を使い、借金取りに帰ってもらっていた。
電気 ガス 水道 いろんな光熱費が払えず止まってしまうこともしばしばあった。
母親が友人にしつこくお金を借りようとする姿を何度も見た。
でも母親はものすごく見栄っ張りで、ご近所の人に差し入れをしたり、お祝いを送ったりしていた。
この人は何をしたいのだろう?
自分の家庭が貧困で困窮しているというのに、よその家庭から貧しいと思われないようにする為にお金を使っている。
本当にすべきは貧しく思われないことではなく豊かになることだ。
その事に気づかず場当たり的な行動をする母親を見て、この人は“関わる人を不幸にする人”だと子どもながらに思っていた。
居留守を使いたい小学生がいるだろうか?
借金の取り立てをしたい人がいるだろうか?
ライフラインが止まるような生活をしたい人がいるだろう?
返ってくるあてのないお金を貸したいと思う友人がうるだろうか?
貧しい人から物をもらってうれしい人がいるのだろうか?
いるわけがない。
私にとって母親は反面教師だ。
当時は物凄く嫌だったし苦労もした。
けど、そのおかげで、その身を持って知ることができた。
上っ面の薄っぺらな関係や、お金でつながった関係がいかに脆く無価値なのか。
だからこそ心の底から欲するのだと思う。
本当に“絆”と呼べるような強いつながりで結ばれた人間関係を。
その為にすべきことは私自身が幸せであることだと思う。
不幸な人
辛気臭い人
人の悪口を言う人
不平不満愚痴の多い人
そんな自分だったら、私に関わる人に良い変化など起こるはずがない。
私自身の幸せを追求していく事こそが、私に関わる人の幸せにつながるのではないか。
そんな事を思った一日でした。
何がしてーんだ!俺を殺そうとしてるのか! あの日を振り返る
私が勤めていた会社は地方にある小さな工場です。
主にステンレス製のパイプの製造や加工を行っている会社です。
私はその会社で“造管”という部署に所属しいていました。
造管の仕事は読んで字のごとくパイプを造る作業を行います。
コイル状に巻かれた、なが~いステンレスの板を機械にセットし、機械を通すことで筒状になるよう誘導して、溶接ボックスの中で溶接を行い、パイプ状になった物をロールと呼ばれる治具で断面が丸くなるように加工していきます。
うちの会社では“造管9割”と言われています。
それは造管での不具合はその後の工程で修正不能だからです。
そんな部署で私は12年間働いてきました。
小さな企業の“あるある話”ですが、教育プログラムなど存在しません。
基本的には“気合と根性”
「上手くできないのはヘタだから」「上手くできないのはやる気がないからだ」と罵られておしまいです。
その罵ってる姿はまるで“輩”です。
昭和のヤクザ映画にでてくるような分かりやすいガラの悪い人間そのものです。
造管に配属された人達はそんな事態に遭遇しないように必死で腕を磨きます。
私も例外ではありません。
その甲斐あってかパイプを造る技術はつきましたが、作業に取り組む動機はかなり不純です。
人事考課の制度もないので良い製品を造ったとしても給与や賞与には反映せれません。
腕を磨くのは“怒られたくないから”
私の勤める部署では、その一点のみの為に従業員は努力に励みます。
ただこの数年流れが変わってきました。
社歴の浅い従業員が技術不足で不良をだしてもが罵られるような事態も無くなりました。
パワハラを意識したのか、今時の若者に合わせて方針を変えたのか…
とにかく恐怖によって技術の向上を図るという風土は薄れていきました。
その結果、若者の技術レベルなかなか上がらなくなりました。
教育プログラムも無いのに、今まで技術を向上させる為に行っていた事を止めてしまったらレベルが落ちるのは当然のことです。
そのことによって難易度の高い製品を造るのは汚らしく罵られた世代に集中する事になります。
私もその中のひとりになります。
三年ぐらい前から生産がスタートしたそのパイプは非常に難易度の高いパイプでした。
通常、溶接部分の強度を高めるには溶接部の厚さを厚くする必要がありますが、そのパイプには厚さの上限が定められています。
強度を重視すれば厚さが外れる可能性が上がり、厚さを重視すれば強度に不安が残ります。
また真円度というパイプの丸さの基準があるのですが、一般的なパイプであれば0.3でかなり丸いとの評価ですが、そのパイプでは上限が0.3なので公差ギリギリという判断がなされます。
そんな難易度の高いパイプの注文が入った時は決まって私の予定に組み込まれます。
先ほど書いたように非常に難易度が高いので、かなり神経をすり減らしてパイプを造ります。
そんな苦労のすえ、やっとできたパイプを確認の為に検査に持っていくと不思議な事が起こります。
「公差に入っているけどギリギリなので直してください」
検査でOKがでる。→工場長が確認→OKだが気になる所を指摘する。→私の部署の上司に直すように指示を出す。→上司は私にそれを伝える。→上司にどこが悪いのかを確認→解らないけど工場長が言ってるから直して…→終了
一度目は「難易度の高いパイプだから神経質になっているのだろう」とすんなり受け入れることができましたが、それが毎回となると頭がおかしくなってきます。
なぜなら次に造ったパイプは前回の指摘をふまえて造ったパイプだからです。
直せと言われても、その時点で全力を尽くしているので、それ以上できる事はありません。
指摘された部分に対してなんらかの修正をしても、その修正による影響で別の部分に新たな気になる部分が現れます。
結局何度かやり取りをして、何に納得したのか解らぬままOKが出て造管がスタートするという事が定番になりました。
私はこのやり取りがすごく嫌でした。
正解が解らないこと。
正解だと思っていることが否定されること。
やりとりをしている間は仕事がまったく進まないこと。
仕事が進まなくても、その後の予定は変わらないこと。
このやり取りをすればするほど、会社に対して不信感が募り、自分自身の心が壊れていくのを自覚していました。
何が正解なのか決めてほしい。
求める品質を満たすためにラインを改造してほしい。
新しい治具を造ってほしい。
と、基準の見直しや改善案をだしたものの、結果は無回答。
そして、その後もこのやり取りが続きます。
今から半年ぐらい前でしょうか、ストレスはピークに達していました。
いつものように「ダメじゃないけど直すように」という上司に怒りが爆発してしまいました。
「ダメ出しばっかりで品質を良くする取り組みをまったくしないで何がしてーんだ!
てめーは何もしねーで俺を追い込んで楽しいのか? 一緒にやった 要求にこたえた それでもダメだったなら、もっと頑張ろうと思えるけど、お前見て見ぬふりで何もしてねーじゃねーか! 何がしてーんだ! 俺を殺そうとしてるのか!」
とキレてしまいました。
書いてて思うのは、頭のおかしい人のセリフだなってことなんだけど、実際に頭がおかしくなってたので、今振り返ってこの言葉を発する以外に、この不毛はやり取りから逃れる手段はなかったのかなって思います。
ブチギレた私に対して上司は「追い込んでいるつもりはない。こうだったらいいなっていう要望を伝えているだけ」と言いました。
その言葉を聞いた時、私は上司に対して完全に心を閉ざしました。
工場長の要求に応えるでもなく、私の要望にも応えるのでもなく、自分の行動を顧みることもなく、自分は悪くないと主張するだけ…
この人も工場長と私との板挟みで辛かったという事は理解できる。
工場長の要求が高すぎることも、私が精一杯やってる事も、正確に把握しながら、何もしなかった事を、私はたった一言詫びてほしかっただけなのだ。
この人には上司としての器は無いと、私が判断するには十分すぎる一言でした。
その日から、この不毛はやり取りは一切無くなりました。
おそらく工場長から何らかの要望があっても公差に入っている場合には上司の裁量で私に言わなくなったのだと思います。
ストレスの元となる行為な無くなりましたが、それと引き換えに不信感という大きな爆弾を抱えてしまいました。
結果として、その爆弾にせいで休職に追い込まれるわけです。
不信感のある人がいる。
それは、ただそれだけで大きなストレスになります。
振り返ってみて、そのことを再確認して「やっぱり復帰は無理かな?」と、改めておもいました。
う~ん…
どうしようかなぁ…