外の世界に触れると、自分の至らなさに気づく

先日、大手企業の、それなりに立場のある方と話す機会があった。

会社からの支持に対して、肯定的に捉えて、何の疑問も持たずに受け入れている姿を見て、社会人としての正解を見た気がした。

 

当然、その会社の上司と、私の勤める会社の上司とは雲泥の差だろう。

言ってる事は同じでも、受け取り方がこんなに違うのは、やはり普段からのコミュニケーションによって築かれる信頼関係の賜物だと思う。

 

私の考え方が正しいと思える瞬間であると同時に、私の至らなさを痛感する瞬間でもあった。

 

頑張り過ぎた反動ががでました

今日は少し風邪気味でした。

 

朝から少しのどが痛かったので、午前中はダラダラと過ごしました。

 

ここ数日ココナラの方のブログを書く事に、めちゃめちゃ集中していたので、知恵熱が出てしまったのかもしれません。

 

このブログは、本当の日記のようなものだから、見られる事よりも、毎日書くのを目標にしているのに対して、あちらは読まれる事を意識しているブログなので、10倍以上の労力を使って書いています。

 

自分の幼少期を振り返って書く文章は、自分の良さや悪さに気づくには、最適なツールだと思っています。

 

いつか感想とかコメントをもらえるようになりたいな。

 

何話ぐらいで完結するのか分からないけど、書籍化されたりしないなか。

 

映画化もいいかもしれない。

 

畑もそろそろ本腰入れなきゃならないし、ブログの続きも書きたいし、明日は体調が回復してますように。

 

ココナラのブログも良かったら読んで下さい。

母ひとり子ひとり

https://coconala.com/blogs/3073618/173030

ビジネスパートナーと主従関係

楽に稼げるとは、どんな状態を指すのだろうか?

 

会社に雇われ、出社してタイムカードを押したなら、もう一度タイムカードを押すまで給料か発生する。

仕事をしてもしなくても、上司に好かれようが嫌われようが、そこに居続ければ給料が発生するのだ。

驚くぐらい楽に稼げるじゃないか。

 

それでも、それを続けられないのはなぜだろう?

 

それは、自分が会社に捧げた物と、会社から得られる物が釣り合っていないからではなかろうか?

 

私が会社に与えた物は、何だったのだろう?

 

私が会社から与えてほしかった物は、何だったのだろう?

 

再就職活動をするのは、それが解ってからだと思う。

 

自分を安売りする事も、会社に無いものねだりをする事も、これで最後にしなくちゃいけない。

give&take

ビジネスとは価値を交換することだ。

 

人の上に立ちながら、その事を理解してない人間が多すぎる。

 

従業員とは書くものの、賃金の上がらない今の世の中で、会社に忠誠を誓う人間がはたして、どれだけいるものか。

 

もはや、主従関係ではうまくいかない。

 

多くの人が気付き始めている。

 

これからの時代は従うだけでは食っていけない。

自分の価値を、より高く売れる人間だけが稼げる時代になる事を。

憎しみから逃れ、幸せになる方法を考える

もともと、このブログは職場から受けたパワハラの事を書き連ねたいと思っていた。

けど、ブログを書き始めて1ヶ月が経って、それを題材に書きたいと思わなくなってきた。

 

いつまでも自分を傷つけた相手を憎んでいても、そこに留まるだけで前に進めない。

大切なのは、どうやって傷ついた心を癒やして、次の一歩を踏み出すか。

 

そうした方がいいことは、多くの人が解っている。

けど、凄く難しい事だから、みんながなかなかできずに苦しんでいる。

 

この2ヶ月、必死にもがいて、足掻いて、苦しんで、解った事がある。

 

今の法律では、パワハラや嫌がらせに対抗しても、労力に見合う見返りが得られない事。

 

過去を振り返ってみて、心の整理ができた。

 

これからの人生で、どんな事に気をつけなければいけないのか改善点が見つかった。

 

自分がやりたい事と、できる事を見つけることができた。

 

そして、自分を愛してくれる人の存在を、再確認することができた。

 

まだまだ本調子では無いから不安はあるけど、これだけの事に気づくことができた、これからの人生は、気づく前よりも絶対に幸せになれると思う。

 

今、苦しんでいる人も、少しづつでいいから、私のように、少しでも前に進める日が来てほしい。

 

調べて分かることは聞かずに自分で調べなさい

過去に上司から言われた言葉を思いだした。

「調べて分かる事は、すぐに聞かずに自分で調べてから聞きなさい」

これって、そういうものですか?

当時の私は「わかりました」と答えつつ、心の中で首を傾げた。

 

「教えた事はしっかりと覚えておくように」

これならわかる。

しかし、教わっても無いことを自分で調べたところで、それが合っているか、いないかは、結局聞く以外に無いのではなかろうか。

 

このように一見正論に聞こえる屁理屈をこねて、従業員や部下にマウントを取る上司にかぎって、部下が自分で調べて、正しいと判断して、行動した結果が間違っていた時に「なぜ聞かなかったんだ!」と激しく叱責する。

 

彼らが求めているのは「言わなくても俺が思っている正解どおりに行動をしろ!」ということだ。

 

私はエスパーじゃない。

正解があるなら解るように指示をしろ。

試すような事をするな。

私は役者でもなければ友達でもない。

お前の気持ち良さとか配慮できないから。

 

いいか。

よく聞け!パワハラマウント上司。

自分で調べろと言うのなら、失敗や間違いを許容しろ。

正解があるのなら、最初から教育してできるように指導しろ。

おまえの無能を就業員や部下に押し付けるな。

 

おまえらが無能なせいで、関わった人間が不幸になるんだよ。

いい加減に自覚しろ。

人生の棚卸をはじめます

パソコンが非常に重い。

うーん、非常にもどかしい。

もう十年以上も前の機体だ。

当時は中の上ぐらいのスペックだったが今では見る影もない。

まるで自分の身体のよう。

思考に連動して動いてくれない。

頭ではグングン進んでいくが身体は置き去りのままだ。

 

そんな今の自分の状態を再確認する必要があると思う。

あの時のままではない。

何ができるようになって、何ができなくなったのか。

今の自分を受け入れて、今できる事に全力を尽くす。

いつだってそうだった。

 

新しい一歩を踏み出そうとしているのだから、今いる場所の確認は重要だ。

その為に過去を振り返ってみようと思う。

時間はある。

支えてくれる家族もいる。

 

記憶の残る一番古い過去まで遡り、どんな道を歩んできて、今どこにいるのかを確認する。

楽しいこと 苦しいこと 何を手に入れて 何を失ったのか。

人生の棚卸。

この先の人生に不要なものは、ここで清算して身軽になっておこう。

私が目指す頂は、果てしなく遠く、果てしなく高い。

余計なものを背負っては辿り着けないだろう。

 

今は力を蓄える時。

進んではないが確実に近づいている。

あせるな、あせるな、大丈夫。

畑と職場を比べてみて気づいたこと

復活しました!

今日は天気も良いし、暖かくなりそうだからかな?

本当に私にとって太陽と気温は本当に大事です。

 

今日は午後から用事があるので、午前中は庭で種まきをしようと思います。

昨年、自分で種取りをしたズッキーニの種。

近くにカボチャがあったから、育てた挙句に美味しくない物が取れるかもしれないけど、少しでもコストを抑えて美味しい野菜を確保するという目標があるので、上手くいったら儲けもんだし、失敗だったら、次は交雑しないように対策を取ればいいやと思っているので、仮にそうなっても経験を得るという意味では成功だと思います。

 

以前書いたような気もするけど、私が思う畑のいい所は、完全に自分次第だという事です。

種を蒔かなければ芽は出ないし、苗を植えなきゃ実はならないし、虫や動物の対策をしなければ、せっかくなった実が収穫できなくなってしまいます。

 

そこで起こった出来事は、

完全に自己責任。

完全に自因自果。

完全に自分次第なのです。

 

それに対して、今の職場ではそうではない事が多々あります。

指示通りにやって上手くいかないと、上手くいかないってわからなかったのか!と叱られる。

理解ができない指示に対して質問や意見をすると、口ごたえするな!文句があるのか!と叱られる。

ルールを守って無い人、すべき事をしてない人がいても、それをフォローするのが仕事だ!と押し付けられる。

 

畑と職場、このふたつの場所で決定的に違うのは、目的が明確かどうかだと思います。

 

畑では〝美味しい野菜をとる〟という明確な目標があります。

それに対し、職場では〝利益を出す〟〝良い製品を作る〟〝上司に怒られないようにする〟〝部下に舐められないようにする〟〝大変な思いはしたくない〟〝お金を稼ぐ〟など、人それぞれ様々な目的や思惑が渦巻いてます。

その結果、起こった出来事に対して、その都度、その都度、自分にとって一番都合の良い理由を引っ張り出してきて言うことが変わります。

 

私はそんな社風がとても嫌だった。

人によって言うことが変わる。

相手によって言うことがかわる。

日によって言うことがかわる。

相手の言葉を真摯に受け止めて行動すればするほど、その言葉が突然無価値に変わったら…そんな事が日常茶飯事だったなら…まとも精神状態で過ごせるでしょうか。

私には無理だった。

 

そんな環境で過ごしているからこそ、私は畑の単純明快なルールに惹かれたのだと思う。

上手くできないのは自分の責任で、上手くいかせる為には自分の行動を変えるしか無い。

 

私の人生の目的はなんだろう?

その目的が職場のように不明確だから、今迷っているんじゃないだろうか?

その場しのぎで都合の良い理由で行動しているのは、私もだ。

 

目指す未来を想像してみよう。

ブレることの無い人生の目標を。

昔から妄想は得意だった。

人に対して熱く、情熱的に、明確に、明瞭に語れる未来をイメージしよう。

絶対できる。

それまでは出来ていたのだから。

必ずできる。